レオパルディ 講演会 2017年5月12日

東大駒場にて近代イタリアの大詩人レオパルディと近代という講演会に参加しました。久しぶりに脳みそをフルに使った気分です。ローマ大のレオパルディ研究の泰斗が来日し、示唆に富んだ話をたくさんしてくださいました。

19世紀初めを生きた詩人だけあって、ヨーロッパで広まっていく(近代)というものへの警戒が随所に見られる点や、知性への不安や限界についての詩作からして、ゲーテファウストと比較して語る手法は鮮やかで分かりやすかったです。

 

レオパルディは頭脳明晰で博覧強記の人間で、古典を愛し古代を賛美しました。その反対に近代を批判します。この世は元からカオスで説明不可能なのに、理性や進歩を信頼してそれらが良い方向へ導いてくれるという思想を否定します。どこまでも人間の理性に懐疑的でした。常に鏡に向かっているようなエゴイズムが近代で、皆個人完結。現実に入り込めないため他者との接点を失っていく。それが倦怠の起源だと語っているのですが、レオパルディの生涯を知ると、完全にその要項に彼自身が当てはまってしまっているのです。孤独で他者との接点を失い、悲観主義に走る生涯ですから(単純にそうとは決めつけられないが)。近代を批判しているのに、その近代の批判理由そのものみたいな人がレオパルディというパラドックスが、なんだか独特でした。

彼が近代を厳しく批判しやたら古代を賛美するので、そんなに古代が優れていたのか?と疑問になったのですが、どうやらレオパルディの考える近代の基準は理性の役割によるものだと捉えていたみたいです。そのため古代ギリシャ時代の中に古代と近代がある(プラトン以降を近代)。古代ローマ時代の中にまた古代と近代がある(キケロ以降が近代)という発想は面白いなと思いました。

その場合の古代古代の理性を重視しない時期を賛美していた、ということで辻褄が合いました。プラトンより前の時代へ、という態度にニーチェにも通じるものがありました。近代というよりは理性を信頼した(近代的)なものに対して警戒していたんだなと感じます。