東京藝大の平熱 音楽学部

私は東京藝術大学に在籍している者です。この大学への関心は澤学長や学生たちの盛んな情報発信のおかげでしょうか、年々高まっているのを感じます。「さんまの東大方程式」でも藝大特集が組まれたことや、二宮敦人氏の本「最後の秘境 東京藝大-天才たちのカオスな日常-」の大ヒットも記憶に新しいところです。
しかしあの本に書いてあることはハッキリ言ってオーバーだとは思います。上野キャンパスを覗いて来ていただければすぐに分かるのですが、大多数の学生は地味です。あくまでエンターテイメント本の類として楽しく読んでいただけるといいかなと思います。

最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常

最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常

  • 作者:二宮 敦人
  • 発売日: 2016/09/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

本題に入ります。藝大生は外から見れば才能あふれる超個性派集団と思われがちですが、実態はやはり違うと私は思うのです。端的に言えば大体の人は挫折していますし病んでいます。プライドだけは本当に高いので表面には出しませんけど、大学にうろついていたり、歓談したりしている学生のおそらく八割ほどは何かしらの挫折をここで味わっているかと。皆それぞれの道のトップを目指そうと努力してきた人たちですが、やはり上には上がいるものです。そしてその分野に長く関わってきたからこそ、他人のレベルやセンスが痛いほど分かってしまうのです。活気あるキャンパス内は哀しみで溢れています。

例えば声楽科で解説しますと、毎年60名ほど合格者を出しますが、日本国内に声楽家としての受容は正直あまりありません。よほど傑出した人でない限り、声楽で生きていくことはできないのです。この人数は合唱の授業のために集められたのだなということが、カリキュラムからすぐに分かりますが、ソロのミュージシャンとして毎年60名も需要が無いのは明らかです。もちろん彼らはそのようなことは承知で受験してきますが、入学してそうたたないうちに、新入生たちは同期のレベルや先輩たちとの比較等で心理的なマウントの取り合いが始まります。私はあの人よりは上手い、あの下手な人と私を一緒にしないで、などなど程度の差はあれそのような精神状況になってしまうのです。特に初夏の頃、同じ楽器の学生たちが自主的に行う「おさらい会」なるもので互いの力量を見抜き、マウントを取り合い、諸々の挫折を経験したり築き始めた絆が解体される恐れがあるのです。


先輩に可愛がられていたのに、その日を境に無視や攻撃的な態度を取ってくることはざらです。勝負の世界ゆえ仕方がないとは思うのですが、溌溂とした青春が歪むことは避けられません。逆に先輩から可愛がられるということは、先輩はあなたをライバルだとは見なしていない、つまりあなたは私より才能が無いから無害という含みがあるかもしれません。正常な人間関係を構築しにくい世界が広がっています。

嫉妬という漢字は女と結び付けられがちですが、本当に怖いのは男の嫉妬です。詳しくは話せませんが、表面的には穏やかで、おぼっちゃま的な礼儀正しさを皆持っているものの、裏では過激な悪口が飛び交っていたりします。まとめてしまえば嫉妬の花園です。まだ女子学生は金持ちの男性と結婚して余裕のある状態を確保し、演奏活動をしようとする選択肢が現実としてあります。私としてはそれは今の時代的にいかがなものかと思いますが、実際的に考えている女子は結構います。しかし男性の逆バージョンはあまりなく、音楽で食っていかないといけないというプレッシャーが女子より重たいのは事実です。それ故か心身をすり減らす人も男子学生の方が多く、自分の実力を把握して学部の内に留学したり、教職へ舵を切ったりすればいいのですが、大学院に進んでモラトリアムを延長して逃げの海外留学をする人もいることにはいます。総じて病んでおり見ていてとても心苦しいものがあります。

その特殊な緊張状態に起因するのか、音楽科の性事情はなかなかに荒れ模様です。異性愛、同性愛含めた教員への枕営業の噂は稀が聞こえてくるものです。寝ていい成績がついたなど耳を疑う話があったりします。女子の方が圧倒的に多いので男子は見栄えが良くて精神がまともなら、彼女が容易くできる、と知人は豪語していましたがあながち間違いではありません。しかしそれを勘違いした男子が奔放に走り出し、二股や三股はじめ倫理観を問いただしたくなるようなことが裏で起きています。鬱憤晴らしでしょうか。心に傷を負った女子学生もいます。人数が多い声楽科や器楽科のみならず、おとなしそうなイメージのある邦楽科でも事態はあまり変わりません。他の大学もこのような件はあるのではと思っていますけれど。

あとは有名な「藝大おじさん」の問題があります。これは大学当局も常に警戒して様々な対応策を練ってくれていまして、大変ありがたいのですが、根深い問題として依然残っています。音楽を聴きに来たというよりは美人の女子学生を見に来た類の人たちで、奏楽堂のコンサートではわざわざ音響の悪い最前列辺りに駆けて座っているおじさんです。もちろん奏者の親族の方かもしれないので一概に言えませんが、いずれにせよ嘗め回すように学生を見るのはやめて頂きたいものです。気に入った女子がいると支援したいや、コンサートを開催しませんか、海外名門オーケストラのコンサートのチケットをあげるよ、等で巧みに近寄ってきます。おじさんたちは財力はあるようでパトロン気取りかつ、一応はお客様なので軽くあしらうことはできないのですが、やや暴走気味になることも多く、セクハラや金銭トラブルの話が絶えません。中には常軌を逸した方もおり、ブラックリストが職員や警備員さんのあいだで共有されているとのことです。

藝大の音楽学部には付属高校が存在し、そこから上がってきた人たちは藝高というブランドを持ち、藝大内のヒエラルキーの頂点に立っています。そして実際上手い人が多かったりします。しかしここ最近みられる傾向ではないと思いますが、藝大は踏み台にしかすぎないという学生もいたりします。クラシック音楽ならやはり本場のヨーロッパや上質な音楽教育を提供するアメリカなどの音大で学ぶ方が、カリキュラム的にも肩書的にもいいと判断して藝大の授業をほとんど、あるいは全く受けないで海外に飛ぶ人もいるのです。成績優秀者は海外の提携校に奨学金付きで送り出してもらえたりするので、その辺はとても充実した体制が敷かれています。そして彼らは著名コンクールに入選していきますが、肝心の藝大の教育水準はどうなっているのか、ここは疑問符を置かねばなりません。卒業後のキャリア支援も貧弱ですし、日本最高峰を謳う割に、留学勢しかほぼ結果を出せていないということは、何かしらの問題があるのではと勘ぐってしまいます。
 
藝大は秘境とされ、面白く謎のベールで包まれた場所と想像するのはいいのですが、内部で生活していると少なからず闇は存在していることに気が付きます。高潔の士ばかりではありませんし、浮世離れした仙人みたいな人の集まりではありません。他の大学と同様、若さゆえの煩悶と苦悩に満ちた場所であることに変わりはないのです。