2017年4月3日 ミュシャ展

絵画の起源は文字が読めない人にもイメージを伝える、つまりは(読む、読ませる)ためのものだと古くから言われてきましたが、この展覧会を観終えた後その意味が分かった気がしました。国立新美術館で開催中のミュシャ展です。

目玉のスラヴ叙事詩はストーリーの大胆な視覚化に高い次元で成功しています。ミュシャ特有の対象の配置や世紀末を超えて獲得した淡い燃えるような色彩を存分に使い、故郷の歴史が躍動的に表されていました。なにしろあまり馴染みのないスラヴ民族の古代から中世の出来事が画題なのに、少し解説文を見ただけで鑑賞者の頭にあたかも自分たちの歴史であるかのように、迫ってくるよう感じられるのです。またその出来事の偉大さや虚しさまでもが人間の表情からこぼれ落ち、遠い異国の物語とは到底思えず、巨人的視点から歴史を俯瞰する感覚に囚われるのです。この点でやはり冒頭のようなことを思い返したわけでした。

戦争画であっても戦闘や血は一切描かず、横たわる遺体をならべて人間の愚かさを静かに指摘するところにミュシャの平和主義的な主張を感じました。所々絵の人物がこちらを凝視しているのでより一層その効果が強まっています。その視線が鑑賞者ではなく当事者なのだと、普遍的なことを述べているようです。

そして何と言っても絵が巨大!それ故迫力が段違いです。かなり距離をとって観なければ全体を捉えられないこの大きさにただただ圧倒されました。大きいということそれ自体が既にとてつもない力を秘めているのかもしれません。さまざまな事を考えるいい機会になったと思います。